ナガバナシ

双極性障害とあれこれと

たい焼き物語

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三嶋大社の近くのたい焼き屋さん。

私はたい焼きのクリームが大好き。

よってここのたい焼きは美味しいか確かめたくなる。

大社でお詣りする前に甘いものでもと思い、クリーム下さいと言ったら、注文が10個も入っちゃったから20分待ちだと言われる。

たい焼きにさすがに20分も待っていられないと、お詣りした後にまだ食べたいと思ったら行こうと思い、そのまま大社へ。

ひと通り大社を回って、またお店の前を通り、やっぱり食べたくなり、「クリーム下さい」と言ったら、15分待ち…。

あんこならすぐ出せるよと言われたが、やっぱりクリームが食べたい。

どうしようか悩んでいたら、イートインスペースが奥にあることに気付き、歩き回って疲れたし、そこで待ってていいかと聞き、いいよと言われたので、待って座ることに。

で、最初は待つだけだったのだが、たい焼きとコーヒーがセットで400円で、安いなと思い、結局ここでお茶。

「旅行ですか?」とお店のおいちゃんに聞かれ、「地元です」と言ったら、ひたすら三島トークをする。

きっとおいちゃんは地元を愛している人なのだろうなぁと思う。

そんな感じを言葉の節々に感じた。

気がつくと、もうたい焼きが運ばれてきた。

おいちゃんと話をしていたので、あっという間に15分が経ったらしい。

なんだかめちゃくちゃフレンドリーで居心地が良い。

たい焼きが運ばる。

たい焼きを持つと、クリームの重みをずっしりと感じる。

皮がパリパリで美味しい。

よく見ると、コーヒーカップのセンスが私はとっても好きだ。

フレンドリーなおいちゃんたちと、たい焼き、なんとなく居心地の良いお店だなと思い、ずっといたくなる。

 


これだけでも、今日は楽しい一日だったなと思う。

料理パニック

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最近気付いたのは、料理が全く好きじゃない。

ひとり暮らしのせまいアパートの台所で料理なんてめんどうだし、窮屈すぎる。

我ながらあんな狭い台所でまぁ色々作っているなと感心する。

ただ、誰よりも美味しいものが食べたいって気持ちだけで料理している気がする。

家でのんびりとご飯が食べるのが好きだが、スーパーやコンビニの弁当やら惣菜やらが美味しくないので、仕方なしに料理しているといった感じる。

もっと近所のスーパーが頑張ってくれたら、たぶん私は料理をしない気がする。

 

料理の話でいつも思い出す苦い思い出は、

好きな男の子に料理を振舞ったら「美味しくない」とはっきり言われ、一口食べてそれ以降一切食べなかった。

ショックだったのはもちろん、ショックが大き過ぎて、その男の子のLINEをブロックしてしまった。

まだその男の子と会っているというせいもあるが、何年も前の話なのに生々しい感覚が結構残っている。

…やっぱり料理好きじゃないっす。

【短編小説】みかにゃ豊作音頭

私はふるさとが嫌いだ。
いや、ふるさとなんてないと言ったほうが、むしろすっきりする。

私が大学進学を機に東京へ上京するまでの18年間、その場所にいた。
私は日本海の一年中荒い波と、快晴なんて滅多にない鉛色の空に囲まれた。
その陰鬱な空気にぴったりのように某国の仕業と噂されるの拉致の被害者も多く、田舎としては物騒な場所だ。
風はいつも恐ろしい化け物のような叫びをあげ、砂浜に生えた薄茶色になった草が虚しく今にも抜けそうなほど激しく揺れている。
冬になると、雪がずっと降り続け、ますます太陽の光を見ることはない。
町の人は鼻にまでマフラーを覆い、目だけを出し、無表情で無機質に毎日雪かきをする。
こう言うときいつも変わっていると言われるのだが、私は東京のほうが住みやすい。
毎日晴れていてぽかぽかしているし、風も穏やかで、人の喜怒哀楽がちゃんと見えるし、正体の分からない物騒さよりもまだ顔が見える物騒さのほうが安心する。

もちろん、この気候だけが私をふるさとが嫌いになった理由ではない。
ともかく、私は自分が嫌いだった。
母親と呼んでいた人は綺麗な人だった。
若い頃は銀座でバーをやっていたようで、かなりモテていたらしい。
未だにその武勇伝は聞かされて、うんざりしている。
50代後半になっても、薄化粧にほんのりと赤い口紅を塗っていた。
周りからは未だに綺麗だと言われているし、同世代の女性を見てもたしかに綺麗なのだろうなと娘の私ですらそう思ってしまう。
彼女は父親の出身地であるこの場所に嫁いで行き、私が生まれた。
父親はロシア系の血を引いていたので、背が高く、彫りの深い顔をしていて外国人とよく間違われるような顔をしていた。
こんな美男美女の夫婦から、さぞかし綺麗な娘が生まれるのだろうと期待して、私は生まれてしまった。
小学生ぐらいまでは、それは天使のような姿だったようで、髪は透き通るような茶色い髪で、目の色もほんのりとグリーンだった。
ところが、中学に入って思春期のせいかニキビが左の頬にブツブツと占領し始めて、私は醜くなってしまった。
次第に茶色い髪は輝きを失い、白髪になってしまった。
目の色もグリーンの色素がどんどん抜けて、エメラルドのようなグリーンをブラックホールが吸い込むように真っ黒な瞳になってしまった。
そんな姿になった母親は、毎日、私の顔を見てはため息をついていた。
最初は私が天使だったときの写真を眺めては「あの頃は可愛いかったわね」と言っていた程度だったが、だんだんとそれはエスカレートしていき、「ニキビなんてまた作りやがって!自己管理ができてねぇからよ!」と怒鳴られたり、「私はお父さんが嫌いで結婚なんかしたくなかったけれど、あの人の綺麗な遺伝子を残したかったから結婚したのに、お前は何てザマだ!」と言われるようになった。
私はその度にほんやりと、赤く塗られた口紅を見つめていた。
その赤が私には炎のように見え、今に私を燃やし尽くしてしまうのではと思った。
別に好きで醜く生まれたわけではないし、何だったら生んでくれと頼んだ覚えがない。
暴力を振るわれたことは一度なかったが、ともかく母親の言葉の暴力がはじまった。
もちろん、見た目をなんとかしようと私なりに努力はした。
ニキビに効く化粧品をあれこれと試してみたり、白く光る白髪を染めたり、カラーコンタクトをつけたりとした。
でも、全てがダメだった。
化粧品はどんどんお金が消えていくだけで効果は全くなく、白髪も染めてはみたものの1週間しないうちに白髪が生え元に戻ってしまうし、カラーコンタクトはある日とても目が痛くなり眼科に行くと、コンタクトが合わない体質でつけることを禁じられた。
努力して何一つ美しくなれない…。私は中学のときから自分に絶望していた。
高校に入り、中学のときよりは自由がきくようになったので、私は部活だ、アルバイトだと言って、家にいる時間をなるべく少なくしようと思った。
そんな中、私に好きな人ができた。部活の一つ上の先輩だった。
しかし、片思いの3か月目に、私と同級生の綺麗な女の子と付き合っているということを知り、私の恋は終わった。
やはり、こんなブスに振り向くはずがないと身にしみて悟った。

幸いにも私はとて勉強ができたので、東京の名門と呼ばれる大学に進学することができた。
憧れのひとり暮らしだった。これで、私はあの家から、あの場所から逃げることができると思った。
私は今でも大学の入学式のときに見た桜を忘れない。
ふるさとは豪雪地帯だったので、桜の開花はいつも4月の終わりだった。
慌ただしい新年度が始まって少し落ち着いた頃に咲くのが桜だと思っていた。
でも東京の桜は、人々が何か新しいことを始めるときに咲くものだった。
淡いピンクの花びらがひらひらと散り、花々の向こうに陽の光が透けて輝いていた。その光景が私の新しい「何か」の出発を予感させるようなそんな気持ちにさせ、それだけで胸がときめいた。

それから私は母親から解放感でいっぱいで、人生の桜もちゃんと咲いたように春が来た。
ニキビも徐々に減り、東京で良い美容師さんに会い白髪の悩みもなくなった。
目の色の問題は結局解決はしなかったけれど、その頃にはどうでも良くなっていた。
大学でたくさんの友人に私の肌の綺麗さと白さをいつも褒められ、なんとなく自分の見た目の良い場所もあるものだなとはじめて冷静に思うようになった。
化粧を覚え、東京の刺激的でとてもおしゃれなファッションにも出会い、自分で言うのおかしいが、いや実は確信していることだが、中学のあの醜い自分は過去のものになった。あの頃の私はもういない。
そして、ふるさとに帰ることもなくなった。
本当は醜い私がいなくなったにだから、母親に対して自信を持って接することができたはずだったが、一度自信を満々にして帰ったときに母親は一切表情を変えず、相変わらず赤い口紅が熱い炎のように私をヒリヒリとさせた。
「相変わらずダサいわね。化粧も下手だし、服のセンスもなってない。あなた、それが一番おしゃれなつもりなの?」
口元が緩み、目尻に皺を寄せ、完全に見下されていると分かった。
そしてこの人は私がいくら綺麗になっても、きっとこうして私を評価なんかはしてくれないし、一生見下し続けるのだと悟った。
やはり、私にふるさとはない。

それから、街を歩いていたときに、とある高級クラブのスカウトに声を掛けられた。
最初は小遣い稼ぎと思っていたのだが、私には接客のスキルがとてもあるようで、みるみるうちに売れっ子となってしまった。
何より、男たちが私に気に入れられようと媚を売ったり、気を遣っているのがとても気持ち良かった。
そう、みんな、私をものにしたい人ばかりが群がって、醜態をさらしながら、それでも弱肉強食の争いをしている…。
こんなこと、ずっとふるさとにいたままだったら、味わえない快感だった。
そして気付くと、当たり前のように私に男ができ、そいつらもいつも私の機嫌を伺うようにソワソワしている。
それでいい。みんな、私の為に狂ってしまえばいいのだ…。
本当はこのバイトも大学を卒業したら辞めるつもりだったが、チーママの話が来て、結局就職せずにこのクラブで働いている。
相変わらず男たちは面白いくらいにみんな私に踊らされている。
その頃、私は両親とも一切連絡を取っておらず、母親をはじめ、たくさんメールや電話が来てはいたが、それを全て無視した。
どうせ接触したら、また私を罵倒し、二度と戻りたくないふるさとの記憶を思い出させることになる。
その頃、出身地を聞かされると東京と答えることにしていた。出身地を隠すことに何の後ろめたさも罪悪感も一切なかった。むしろ、もう本当に自分は東京出身なのだと自分自身ですら思い込んでいた。

私はとてもお酒が強かった。
あれはチーママとして仕事が慣れはじめ、世間はお盆休みという前の晩だったと思う。お酒の強い客とどちらがお酒が強いか競うような雰囲気になったときだった。
私はとても酔っていて、どうにでもなれという気持ちでカルトワインを瓶ごと口に付け、ラッパ飲みをした。
そして意識が急に遠ざかっていくのを感じた。やってしまった。とは思ったが、それはとても今までに経験したことがない気持ちの良い落ちかたで、落ちてはいけないとは思いつつ、あまりにも気持ちが良かったので、後のことはどうでもよくなり、このまま落ちてしまってもいいかという気持ちになった。
それは、高いビルで頭から落ちているようだった。
しかし、それはとてもゆっくりで背中に羽の生えたような全身が柔らかい何かに包まれたような風のようなものが吹いていた。
辺りを見回すと、空は一面の黄金色に近い黄色の世界だった。

目が覚めた。
真っ暗だった。
体じゅうがざらざらした粒の細かいものがまとわりついていて、感触の不快さに気がついた。
ここは……どこだろう?
びっくりして跳ね起きた。
「痛い!」
と思わず、声を上げ、頭を両手で押さえた。
とっくに限界を超えてお酒を飲んでいたので、頭が重く、ひどく締め付けられたような痛みを感じた。
手元すらも全く見えないほど真っ暗な場所だ。
しかし、脚にひらひらと絡みつく馴染みのある生地の感触や、自分の肩にひんやりとしたものを感じると、お店のドレスを着たままであることが分かった。
たぶん自分はとんでもない場所にいるとは感じ、早くこの場所から動かなければと思うが、容赦なく襲いかかる頭痛のせいで、1ミリも動けなかった。
頭を抱えたまま、しばらくうずくまっていると、ごぉー、ごぉー、と低い唸り声が辺りに響いていた。
そして、だんだんと、ごぉーばしゃーん、ごぉーばしゃーん。と何かが勢いよくぶつかり、粉々に砕ける音が聞こえた。
「もしかして……ここは……海?」
そう思ったときに、自分の体にざらざらした粒の細かいまとわりついていたものが、砂浜の砂ということで合点がいく。
しかし、私はどうして、お店のドレスのままで海にいるのかが分からなかった。
ごぉー、ごぉー。ごぉーばっしゃーん、ごぉーばっしゃーん。 「この海、何かがおかしい……。」
東京湾の海は湾が入り組んでいるため、風も波も穏やかだと聞いたことがある。
もちろん、天気によっては東京湾も荒れることがある。
しかし、私がお店で倒れ、この暗さがまだ夜だとして、一日中ここで倒れていなかったとしたら……そんなことはない。この頭痛の感じからするとまだお酒は体に大量に残っていて、一日中倒れているはずがない。まだ、夜は明けてない。
つまり、今夜の東京の天気は晴れだ。
出勤途中で、ねっとりとした風が全くない暑さを感じていた。今夜は天気が荒れるはずがない。
「ここは……東京の海じゃないかもしれない。
……ふるさとの海に……似ている。」
容赦なく吹き付ける強い風。荒々しく岩にぶつかり、惨めな白いあぶくと散る波。
一年中雲が多く、夜でも全く星が見えず、某国の工作員が拉致の場所にうってつけと考えたであろう真っ暗な海。
しかし、私が倒れたときは夜中の2時を過ぎていたから、どんなに車を飛ばしてもふるさとに着くのは夜明けになる。
ここは、どこだろう。
そんな状況にもかかわらず、私は少しも不安を感じなかった。

すると遠くで笛の吹く音(ね)が聞こえた。
さすがにそれにはびっくりして音の方角に顔をそこでやっと上げた。
相変わらず何も見えない。
笛の吹く音に間隔を開け、どん、どんと調子を取るような音が聞こえる……和太鼓のようだと思った。そして、ちゃらんちゃらんと鐘のような高い音が聞こえてきた。 「まさか……あれは……。」
そして、その音楽たちはどんどんこちらに近付いているのか、どんどん大きく、次第にはっきりと聞こえてきた。

ソーレ、ソーレ、ソーレ。

女性が何人かで言っているのか甲高い調子を取る声が聞こえてきた。

ソーレ、ソーレ、ソーレ、ソレ、ソレ、ソレ、ソレ……
はぁ〜 今年 豊作 幸福あぎたい 海の神 嗚呼 山の神
アソーレ
風がごめごめ吹くしった あら あぎたいな コメ んまかっべ
陽は降らなぎたぁ だが おらんの ししん さんさんだ
荒海 ぶつかりゃ おらんの魂みな 逞しんだ 皆ものよ

そう……あれは、みかにゃ豊作(ほうっさ)音頭だ。
みかにゃ豊作音頭とは、私のふるさとで毎年夏祭りに町中の人たちが集まる盆踊りのことだ。
みかにゃというのは私のふるさとでは、自然の神様のことを呼ぶ。
私たちはこのみかにゃのおかげで、幸せに健康に暮らせている感謝の音頭だった気がする。
そんなことを知っているのは、小学生のときに、課外授業でお祭りの手伝いを強制的にさせられたときにこのみかにゃ豊作音頭を覚えさせられ、歌わせれたからだ。
とは言っても、こんなことを思い出したのは本当に小学生以来だったから、何年ぶりだろう。
ということは、やはり私はふるさとの海にいるのだろうか?それとも夢を見ているのだろうか?

相変わらず辺りは何も見えない真っ暗闇ではあったが、みかにゃ豊作音頭の集団がもう自分の目の前にいるのは分かった。
どうなるのだろうと思っていた矢先に、突然ぱっと明るい光が差し込んだ。
あまりの眩しさに、私は指で目を覆った。
そして薄目を開けて、その集団のほうを見てみると、般若のような恐ろしい表情をしたキツネのようなお面を被り、白地に紺の模様が入った浴衣を着た集団だった。
あのお面がみかにゃらしく、あの浴衣は私のふるさとの自然を表現しているらしくみかにゃ豊作音頭を踊るときは必ずそれをしたなければいけないという伝統がある。
その集団は二列に隊列を作り、後ろに5列ほど並んでいる。
両手はあえてだらっと上げるのが決まりで、浴衣も襟をわざと弛ませ、男性は胸元をはだけさせるように着るのも決まりだ。
なんだか他の地域に比べて、だらしのない、しまりのない盆踊りだなと小学生のときから感じ、私はこの盆踊りが嫌いだった。
その隊列の後ろには2メートルの四方が木で作られた山車が見えた。
幼稚園児が書いたような下手くそな猿やうさぎ、私のふるさとでよく見かける動物がぎっしりと彫ってある。太鼓や笛を持った人たちが演奏している。
もちろん演奏者も全員、みかにゃの奇妙なお面を被っている。

私を眩しくさせた光はどうやら、山車の後ろからスポットライトのようなものが射しているようだった。
みかにゃ豊作音頭の集団は思ったよりも私に近い場所にいて、あと5メートルくらいの場所にまで迫っていた。
このままだとぶつかると思っていたとき、不思議なことが起きた。
先頭で踊っていた2列の隊列が見えない階段を一段ずつ登るように宙に浮いたのだ。
前の1列が浮いたかと思うと、後ろに続いていた2列もふわりと浮き、踊っていた隊列が全員浮いたかと思うと、なんと山車も見えないスロープを上るように宙に浮いた。
みかにゃ豊作音頭の集団は、私の頭の上を通り過ぎて行った。
私はただただ、あっけにその姿を眺めていた。
後ろを振り向くと、水平線の上が明るくなっていた。
月がすっぽりと雲に覆い被さっていたが、月がとても明るい夜だったので、月の強い光が雲の隙間を突いて、空が明るくなった。
みかにゃ豊作音頭の集団は、その雲に覆われた月に向かって行くようだった。

ええな ええな 子は宝ざ 宝ざだな
アソーレ、アソーレ、ホイ、ホイ、ホイのエッサ
お天道様は あっじな顔 星も月も あっじな顔
だけんにょ 子は 皆輝ぐ光がな
アソーレ、アソーレ……

「待ってーーーーーー!」
と気付くと私はみかにゃ豊作音頭の集団に向かって、大声で呼び掛けていた。
しかし、集団は私の声は届いていないのか、誰ひとり、こっちを向いてはくれない。
だらしなく手を上げ、怠そうに腕を振る。腰をくねくねとゆっくり動かしていた。その動きは全員が揃えようという気は全くなく、見ていて間抜けな盆踊りだった。
「待って、待って、行かないでーーーーー」
なぜ待ってほしいのか、なぜ行かないでほしいのか、理由なんて分からない。
私は10万円のドレスなんかお構いなしに波に入っていた。
みかにゃ豊作音頭の集団を、それくらい夢中で追いかけていた。
頭痛は嘘みたいに感じなくなっていた。
ともかく、みかにゃ豊作音頭の集団を追いかけなければ、何か取り返しのつかないことになる。
気がつくと、目からは涙が何粒もこぼれていた。
なぜ泣いているのか分からない。
腰の辺りにまで浸かったところで、私はやっと追いかけるのを諦めた。
そしてもう一度叫んだ。
「待って。置いてかないで!」

アチョイナ、アチョイナ、ヨーレ、ヨレ、ヨレ、ヨレ…

と私の言葉に返事をするようにそれだけが聞こえた。
どんなことをされても、どんなに嫌いでも、どんなに消したいものでも、それは大きな影のように永遠に、べったりと着いてくるものがあるのだと思った。
私は上京して6年、こんなに泣いたのは初めてだと思った。
無情にも、少しずつ、みかにゃ豊作音頭の集団は小さくなっている。
それはまるで雲に覆われた月に吸い込まれていくように。

 

ボロ布

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鬱があまりにも酷く、塞ぎ込む気持ちがずっと続いていたので、一人暮らしの家に来た。

12月にこの家をどうするか散々悩み、でも頭のどこかでもうこの家は手放そうと思っていたのに、結局手放せずにいた!

やはり、この家は手放さないほうがいいのかもしれない…。

 

そんな中、洗濯をした。

洗ったものを室内に干して、そろそろ乾いた頃だと思い、ピンチにぶら下がっている洗濯物を見たときに自分でびっくりしてしまった。

なんてボロ布を私は身につけているのだろうと思った。

布巾、靴下、下着、ヒートテック…どれもヨレヨレでボロボロだった。

毛玉だらけで、洗い立てなのに手垢だらけのような気さえしてくる。

気が付いていないだけで、買ったときよりもはるかに変色しているかもしれない。

全く着るもの、いや、布という布に対して無頓着な自分にびっくりしてしまった。

無頓着なのだろうか?

そのくせ、服や下着を何度も実家と一人暮らしの家へと大量に何度も行き来していた。

電車に大きな紙袋を2つぶら下げて乗っている自分の姿は、我ながら他人が見ても異様な光景だと思う。

家出とか、ただごとではない光景に見えているはずだ…。

なんで自分はこんなボロ布たちを大事に扱っているのかが分からない。

大事すぎて、ボロボロになったことに気づいていないのかもしれない。

 

ともかく、慌てて下着を全部買いなおすことにした。

なぜこんなボロボロの、果たして下着の役割をしているかも疑わしい下着を捨てずにいた自分がもはや理解できない。

私は自分ではいらない服は躊躇なく捨てるほうだと思っていた。

でも、それは勘違いだったようだ。

そうなると、私には捨てるものが後から後へとあるような気がする。

捨てるという地獄がどこまでも続いているような気がした。

そして、毛玉だらけの色あせたヒートテックを買いなおした。

1回だけ履いてすぐに夥しい毛玉だらけになった部屋着用のズボンも買い直すことにした。

 

私は捨て続ける行為に疲れた。そして補充する行為も疲れる。

だったら、ボロ布のままでいればいいとも思うが、それはあまりにも自分がみすぼらしい気がする。

毎日自分に劣等感や焦りを感じ続けているから、どこかに気持ちの良いものを求めているから、みすぼらしい自分を認識したくないからだと思う。

だけど、捨て続け補充し続けることもまた、どこか私の心の余裕を失くしている。

最近は双極性障害のせいかどうかは分からないが、やけに刺激に過敏に反応し過ぎている自分を感じる。

おだやかに暮らしたいという願いのために、騒がしく疲れる毎日を送っている。

良いほうの現実逃避

11月から続いていた鬱がまだ続いている。

11月に新しい病院に行き、私の双極性障害が1週間以内に躁と鬱が交互に入れ替わるとんだラピッドサイクルということで、デパケンが追加された。

なんとなく、ラピッドサイクルというものは良くない気がしていたが、3か月も鬱が続くという経験が初めてなので、やはりラピッドサイクルに戻りたいという気持ちになってしまう。

先生はデパケンにより、躁と鬱の波がなだらかになるとは言っていたが、相変わらず、この先どうなってしまうのかが全く読めずに不安である。

 

ところで、2月に入ってから、眠るのが朝の6時以降になってしまった。

昼夜がすっかり逆転してしまった。

これではいけないと、夜、なんとか眠ろうとするのだが全く眠れない。

その割には、身体は一日中怠く、何もする気が起きない。

双極性障害になって10年、まだ社会生活に早く戻らなくてはという焦りがある。

今の私は社会生活どころか、日常生活すらしっかりできていないと痛感しているから、尚更焦ってしまう。

我ながらこの焦りをなんとか取り除くことはできないものかといつも考えてはみるのだが、どうやって取り除くのかもはや分からない。

たぶん、アダルトチャイルドの優等生を引きずっているのも原因だと自分でも思う。

ともかく、2月に入ってからはこんな自分にひどく自己嫌悪していた。

SNSで他人の日常を見るのも嫌になってしまった。

そこには、本人には満たされない日常なのかもしれないが、私にとっては魅力的な日常で、嫉妬やら羨望やらで、頭が狂ってしまうのではないかと思った。

だからと言って、自分が鬱だとは自覚しつつ、睡眠時間が平均7時間なので、いつまでも寝て逃げるわけにはいかない。

起きている17時間を何とかして時間を潰さなくていけないという考えになった。

昔は、非生産的な時間をえらく嫌っていて、時間があるからには有意義な時間を過ごしたかったものだが、双極性障害になると人間の思想はここまで落ちぶれるものだと思った。

そこで、私は現実から逃れるように読書をした。

エッセイを読むのも好きだが、エッセイだとその作家の日常がやはり垣間見れてしまうので、小説を読むことにした。

小説も幸せな明るい話ではなくて、安岡章太郎三島由紀夫の、どこか主人公がいつも塞がっているものを読んでいた。 

 

海辺の光景 (新潮文庫)

海辺の光景 (新潮文庫)

 

 

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

 

幕が下りてから (講談社文芸文庫)

幕が下りてから (講談社文芸文庫)

 

 

今の自分にぴったりな物語りを読むことで、自分のやりきれなくて、孤独で、さびしい現実から逃げることに成功できた気がする。

現実から逃げるために、私は久しぶりにたくさんの小説本を買った。

そのうちに小説を読むことが唯一の楽しみになり、なんなら、このままの生活でもいいかと思い始めた。

たくさんの小説を読み、また少しずつ、文章を書きたい気持ちになってきた。

このままの生活でもいいし、ちっとも寂しくない。

 

そう開き直りの気持ちになったときに、なんとなく、ずっと靄がかかってきた気持ちが晴れてきた。

 

開き直りの気持ちができたからメンタルが元気になったのか、

メンタルが元気になったから開き直りの気持ちが生まれたのか、よくは分からない。

 

とりあえず、小説を読むというとても良い現実逃避ができたのはとても救いである。

婦人科あれこれ

今日は男子にはつまらないであろう、産婦人科に行った話と生理について書こうと思います。

そういえば、佐藤先生は昔から私の双極性障害は生理とも関係あると言っていたので、女子で双極性障害の人には何か関係があればと思う。

 

二週間前に産婦人科に行った。

なんで行ったかというと、一昨年の12月ぐらいから生理がちょっと変だった。

1、2日くらい不正出血みたいな色の濃い少量のものが続き、それから本当の?量や色が生理らしいものがきた。

去年の2月ぐらいに産婦人科に行ったが、心配することがなく、3、4ヶ月しても続くようだったらまたおいでと言われて終わった。

そして、3、4ヶ月経ってもその症状は続いたのだが、そこの産婦人科の先生の口癖が「だから」とずっと言っていて、「だから」を連発されても、何についての「だから」だよと突っ込みたくもあり、なんだか偉そうな感じがして先生が好きじゃかなかった。

でも、待合室の調度品が好きだったから、ちょっと残念だなと思いつつ、他の病院に行こうと思った。

しかし、生理のことばかりをいつまでも心配している余裕はなく、双極性障害になると色々な部分がトラブルが起きるので、そう構っている場合ではなかった。

実は自分のホルモンバランスがちゃんと整っているかどうか見たいという理由で、基礎体温を1年以上前からつけている。

去年の7月は母親との決別をして、一人暮らしの家に戻った経緯があったから、それがストレスだったと思う。

基礎体温排卵日が生理が始まる3、4日前からやっと来たということになった。

これが半年間続いていたので、さすがにこれは何かが異常だと思い、違う産婦人科に行くことにしました。

 

ネットで調べて違う産婦人科へ。

私は思い立ったら即行動という非常にせっかちな性格であるが、初診なのでとりあえず病院へ電話へ。

受付の人が、「いつがよろしいですか?」という問いに思い切って「今日はどうですか?」と大胆に聞いてみる。

すると、あっさり、「いいですよ」と言われる。

なんだ空いている病院なのか?と少し心配になりつつ、続いて電話口から「何時にいたしましょうか?」と聞かれる。

心配しているくせいにこれまたせっかちな私は「今からでもいいですか?」とはたまた聞いてみる。

「いいですよ。どのくらいで着きますか?」

「30分後でもいいですか?」

「いいですよ」

えー。いいんかい!と思いつつ、即日行動したいかつ、せっかちなので、サクっと支度して病院へ。

向かう道すがら、これ、電話した意味があったのだろうかと思った。

 

(つづく)

歳相応の恰好という呪縛

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「歳相応の恰好をしなさい」とよく世間では言う。

しかし、私はこの言葉があまり好きではない。

いくつになっても好きな恰好をしてもいいじゃないかと思う。

 

だいぶ前にテレビで、フランスの70歳代の女性が真っ赤なミニスカートを履いていた映像を見た。

それがその女性にとてもよく似合っていて、とても素敵だと思ったし、歳を取ったからミニスカートを履いてはいけないだなんて、とてもクダラナイことだったのだなと思った。

それを見てしまうと、歳相応の恰好なんてないなと思ってしまった。

 

しかし、先日、ネットでとても美人でスタイルの良い女性の写真が出てきてその写真を見たときに、私は正直彼女に対して「歳相応の恰好をすればいいのに…」と正直に思ってしまった。

 

彼女と70歳のフランスの女性の差はなんだろうと思ってしまった。

 

色々と自分なりに考えてみたのだが、歳相応の恰好をすればいいのに思った彼女はファッションを更新はしていないからだと思った。

10年前に流行ったファッションを未だにしているからだと思った。

だから、なんとなく時代を感じてしまい、ダサく感じてしまったのかもしれない。

いつまで90年代後半やら2000年代のファッションをしているのだと思う。

もちろん、90年代後半やら2000年代のファッションが個人的に好きで敢えて取り入れている人はいる。

でもそれでダサさを感じないのは、着ている人の容姿ではなく、どこかに現代のテイストを取り入れているからだと思う。

ファッションの更新はとても大事なのだなと思った。

ファッションの更新が面倒くさいなら、いつの時代もシンプルなものは時代遅れにならない。

シンプルなものをずっと長く着ていれば、ダサさはまだ感じない気がする。

 

もう一つ理由を考えてみた。

これはファッションの更新に近いと思うのだが、自分が更新されていくのを素直に察知できるかどうかでもあると思う。

これはどういうことかと言うと、年齢を重ねていくと、自分の体型や顔の皺なんかが増えてきたりと、若いころと変わってくる。

この変化に素直に受け入れて、自分の着たいファッションとどう迎合していくかだと思う。

確かにテレビで観た70歳代のフランスの赤いミニスカートを履いた女性は脚がとても綺麗だった。

彼女は自分の脚が綺麗だということをちゃんと分かっていて、ミニスカートを選んだのだと思う。

若いときはミニスカートが履けたのだから、歳を取った今でも履けるという楽観的な考えをするから「歳相応の恰好をしなさい」と言われてしまうのだと思う。

歳を取るとどうしても肉付きがよくなってしまうから、若いころのような脚ではない人が多いと思う。

そこに気付けるかどうかだと思う。

じゃあ、歳を取ったからミニスカートが履けないというわけでもなく、筋トレしたりマッサージをしたり、努力をしたりすればいくつになってもミニスカートが似合う女性であることはフランスの70歳の女性が証明してくれた。

 

ここまで書いて思ったのは、結局、歳を取ってからのファッションは、自分の体形をよく観察することと、自分のセンスを磨き上げることだと思う。

センスをいつまでも磨くことを怠るとたちまち化石のようなダサいものになってしまう。

それは流行をただ追いかけるということとはまた別のことだとも思う。

自分のなりたいスタイルをいつも想像し、その姿に似合う自分になるためにはどうすればいいか考え行動すれば、「歳相応の恰好」なんて呪いの言葉に惑わされずに、もっとファッションは自由になると思う。

 

こう書いてしまうとファッションってなんだかめんどうなものと思う人がいるかもしれない。

でも、ファッションが大好きな私は、このめんどうさがめんどうと感じずに、考えている時間がものすごく楽しいのだよなぁ。

井上靖「夏花」を読んだ感想~戦争が日常だったころ

 

夏花 (集英社文庫)

夏花 (集英社文庫)

 

ネタバレしていますので、注意を。

 

この本を最初に読んだのは中学生ぐらいだった気がする。

去年も読んで、今月に入ってまた読んだ。

つまり3回も読んだので、感想を書いてみようかと思う。

 

まず9編もある短編小説の中で戦争が出てくる部分が多い。

戦争が出てこない話は4編だったので、半分は戦争が出てくるということになる。

前もこのブログに書いたが、戦争を体験した作家というのは、もちろん戦争でとてつもなく辛い経験をしたのは確かなのだが、今の戦争が出てくる小説のように、戦争反対と言っているわけではないと誰かが言っていて、妙に納得したことがある。

たぶん、この時代を生きた人たちの共通の認識が戦争であったから、当然のように物語に戦争が出てくるのであろう。

 

しかし、「しろばんば」を読んだ後だったので、「しろばんば」はとてもみずみずしく純粋な話だったのに、こちらの短編はドロドロした男女の恋愛が多く、同じ筆者が書いたのかと思うほどだった。

例えば中学生のときにはのときには分からなかった不倫の男女の心理描写が分かった自分がまた、大人になったのだなと個人的には思う。

今は不倫のドラマや不倫をやけにクローズアップさせた社会だなと感じていたが、それは別に今に始まったことではなくて、この本が刊行された1979年から人々にあった日常だったのだなということが、1985年生まれの私には少し驚かされた。

 

傍観者

読んだあと、とても不思議な気分になった物語。

男女の仲になりそうなチャンスは何度もあったはずなのに、なれずにただ見ているというだけ。

井上靖の小説はヒロインが美人な人も多いが、ワガママな女性がよく登場してくる。

これは「しろばんば」でもワガママな女性が魅力的に描かれているので、作者の好みの女性はワガママな女性なのではないかと勘繰ってみたりしてしまう。

 

夏花

幼いころの男女の純粋な思い出と大人になってそれぞれ家庭を持った今の男女が、交差していく話。

実は私はこの話がなぜか一番印象に残っていない。

ただ、感じたのは、幼いあのときの思い出は二度と帰ってはこないのだなという作者の郷愁のようなものを感じる。

 

伊那の白梅

こちらも過ぎ去った青春を憂うお話。

夏花も過ぎ去った少年少女時代を振り返る話であるはずなのに、最初に読んだ中学生時代からこの話が一番好きだった。

たぶん、駆け落ちをした男女が死へのあてもない旅というものに、中学生にしてどこか憧れを持っていたのではないかと思うと、なんだか、中学生時代から私はませていたのだと思う。

 

石の面

ともかく描写が素晴らしい。

読むと京都に行きたくなってしまう。

写文している。

 

薄氷

手紙形式で書かれた文。

こんなに長い手紙を今書く人はいるのだろうかと思いつつ、当時はここまでとはいかなくても、長い手紙を書く人はいたのかもしれないなと思った。

手紙形式で小説を書くというのも、面白いなと思った。

ただ、現代では長い手紙形式で小説を書くのはリアリティがないなと思ってしまった。

この形式に似ていて、現代で新しい何か表現方法はないかなと思った。

 

かしわんば

こちらも手紙形式の文章。

本当にかしわんばというものが和歌山にあるのか気になった。

そして、なんとなく作者の故郷である天城をどこか連想させるものだ。

実際に伊豆が舞台でもある。

作者の中で、天城とかしわんばが重なるところがあったのか、地元に住む者の興味としてある。

 

騎手

オチは、一番好きなのかもしれない。

というより、厚かましいことを言えば、私の書く小説のオチがいつもこんなものが多い気がする。

もしかしたら、結ばれるはずの2人だったが、結ばれることがなさそうな皮肉さが好き。

 

失われた時間

一瞬だけある記憶がなくなってしまった主婦の話。

やはりこの話もあまり印象にない。

もっと読み込まなければならないのだろうか。

 

暗い舞踏会

戦争の悲惨さを一番描いているのはこの作品ではないのだろうか。

他の作品もそうではあるが、戦争を知らない私たちにとっては一番リアルに感じる話かもしれない。

「生きていない方が僕はいいと思ったんだ」というセリフがとても衝撃的だった。

「命を大切にしましょう」とやかましく唱える現代に言ってやりたいものだと思った。

しかし、人の命が簡単になくなる戦時中がいかに、死というものが身近でだったなだなと思った。

捕えようによっては、生きていたくない人に読ませてみるのもどうだろうと思った。